2011年3月28日月曜日

懐かしい香りとともに・・・

少し早めのお昼ご飯を済ませて、台所を片づけを始めた時、窓の向こうにゲビンが微笑みながら立っていた。えっ!だって彼は350キロも離れたカイコウラのお隣さんだ。

慌て玄関の扉を開けると元気そうなゲビンが懐かしい香りを届けてくれたのだ。「ほら、庭のブラックボーイ・ピーチだ。ちょうど食べごろになってたぞ」って、でも今はもう私達の家じゃない。新しい家族が暮らしているはずなのに。「留守の間にふたりでバケツ2杯分取ったのよ。」と横で微笑むガールフレンドのべヴ。その懐かしい香りとふたりの元気な姿に涙が出そうだった。

(この時期、毎年ネルソンの弟さんのところへ遊びに行ってることを思い出した。)

思えば去年の冬、旅行中のオーストラリアで心臓発作が起こり、なんとかNZに帰ってきた77歳のおじいちゃん。それから彼は数回の手術を受けて、自宅に戻ったのは冬の終わりだった。時々様子を見に尋ねても2階のリビングから1階の玄関に降りてくるのがやっとだった。また、心臓が本来の脈を打ってくれず口の中に水が溜まってまともに食事ができないと苦しんでいた。

春の訪れとともに体調も良くなりだいぶ回復して、日課の散歩にも出かけるようになっていた。「今日はパン屋まで行って帰って来れた」と会うと自分の散歩の様子を報告して調子が良くなってきた事を話してくれた。

畑を始めたときにお隣から我が家の畑の様子を見て、いろいろアドバイスをしてくれた。トマトが大量に収穫できたときはトマトスープにして保存することを教えてくれた。毎冬に出かけるオーストラリアから子ども達にお土産を買ってきてくれた。そう、ちょっとしたことで助け合った優しいご近所さんだった。

宮沢賢治の「雨にマケズ風にもマケズ・・・」の詩が私の頭の中を旋律してる。


彼は独り者。77年間1度も自分の家族を持つこともなく、小さな海辺の町に生まれ今ひとりで静かに暮している。生まれたときから変わらない風景があり、静かな暮らしをひとりで営んできたおじいちゃんが「カイコウラは何も変わっていないよ。あのままだ。いつでも帰って来い。」と言ってくれた。 その言葉が優しくて、嬉しくて、もう食べることはないと思っていた味がいまここにある。今年のブラックボーイ・ピーチは格別です。そして、変化を求めて新しい暮らしを始めた私達に変わらないことの力強さをそっと教えてくれた気がする。

小さな幸せを届けてくれたゲビンとベヴ 次回は私達がカイコウラへ会いに行きます。いつまでも元気でいて欲しい。そして、ありがとう。

2011年3月19日土曜日

小さな折鶴に思いをこめて

こちらでも連日報道される日本の地震・津波の災害と原発爆発による放射線漏れの映像に悲しくて言葉もでない。その悲しい気持ちにつぶされそうな毎日です。同じ気持ちの日本の方々の気持ちが形になり、ネルソンにある日本人会主催で始まった募金活動の初日でした。 折鶴にいろいろな思いを込めて、募金してくれた人たちに手渡す。本当にシンプルな活動です。

たくさんの日本の方々が参加されて驚きました。(現在ネルソンには100人を超える日本人が暮しているとのこと)初日の今日だけで$6,000ドルを超える募金が集まったとのこと。こちらでもたくさんの方々が日本の震災のダメージの大きさに言葉を失う衝撃と悲しみを持っていることは感じていました。友達から日本を見舞う電話をたくさん貰っていたし、はるか・ゆうとの学校や幼稚園で会うナルソンのママたちから「何か出来ることはないの?」と言ってくれた人もいたから。でも私が思っていた以上の反応の高さに驚いている。NZも未だに地震の悲しみの中にいるのに。暖かいNZの人たちの気持ちに私達日本人も救われています。 今日ははあちゃんも頑張っていました。集合場所を提供してくれたネルソンのおすし屋さんで一生懸命折鶴を作っていたし、みんなに差し入れのクッキーを配って回ったり・・・・毎日TVのニュースで震災の映像を見ても子どもには実際のところよくわからない。今、NZで日本で何が起こっているのか?どれだけの人が大変な思いをして過ごしているのか?

でも人が誰かの為に何か行動を起こす姿を見て欲しいかった。小さなことでも良いから自分にも何かできることを知って欲しかった。


私には被災した方々、震災で亡くなった方々、そして残されたご家族の悲しみや苦しみを理解することはできないと思う。彼らに「頑張って下さい!」なんて私には言えない。今はただただ彼らのことを思い、彼らの分までこれからの毎日を前向きに頑張っていくことしかできない。


子ども達は今すぐに分からなくても良い。これから長い時間を掛けてNZで日本で起こったことの悲しい出来事を知ってくれればとかあちゃんは思います。


2011年3月16日水曜日

悲しい知らせ

本当にご無沙汰しています。新年のご挨拶もないまま日本は春を迎えようとしていますね。
こちらは朝晩が涼しくなり、虫たちの優しい鳴き声に秋の訪れを感じます。
楽しかった夏はあっと言う間に終わってしまった。

住み慣れたカイコウラの町からネルソンへ年末無事に引越しを済まし、新生活に少しずつ慣れてきた矢先に・・・・クライストチャーチの地震!見慣れた街の変わり果てた姿にただただ悲しかった。ただ生きていることのすごさと毎日の普通の暮らしの大切さをひしひしと感じる毎日でした。そして・・・日本の地震と津波の恐ろしさと言葉にならない衝撃はTVの画面から怖いくらい伝わっています。津波から命からがら走って逃げる人々の姿にこれが夢であって欲しいと涙が出た。
人間が作り出したものは全て津波に流されてしまった。そこに暮す人々の思い出も全て。

人は自然の中で生かされている。どんなに科学のチカラが発達してもやっぱり自然の力にはかなわない。世界全体がゆがんで行くこの世の中で自然の大きな力からの天罰なのかもしれない。日本はその大きな犠牲をひとりで引き受けることになってしまったのかもしれません。

日本の人たちに笑顔が戻る日をいまはただ祈るだけです。