2011年7月15日金曜日

今日も元気です!

今朝もトイレから大きな歌声が聞こえてくる。

ジングルベ~ル、ジングルベ~ル♪ badman smell Robben laid egg ♪~
とうたうユウト。なぜ、毎日クリスマスの替え歌なの?
トイレの扉は全開!歌い終わると必ず「かあちゃん~、でた~!」と報告までしてくれる。

2日前は風邪を引いていてそれどこじゃなかったね。
朝ごはんをしっかり食べて、元気な日はいつもこうやってうたってる。
今日は絶好調のユウト。

トイレから聞こえる鼻歌が伝える元気のしるし!

2011年6月29日水曜日

小さな幸せを大切に!

本当に久し振りの更新になってしましました。このブログの存在を忘れそうになるくらいでした。

皆さんいかがお過ごしですか?

私は大きな衝撃を与えた東日本の大震災とここNZ・クライストチャーチでの地震が起こってからいろいろなことを考えさせられました。毎日の暮らしをどんな気持ちで過ごせばいいのか、やりきれない気持ちでいっぱいだった。でも、毎日時間は待ってくれません。特に子ども達は「かあちゃん~!」と呼ぶ。

その声に答えるだけで精一杯でした。そんな中でふっと気付いた子ども達の成長!
毎朝朝ごはんの目玉焼きを自分で作るはあちゃん見て、大きくなったな~って思う。
毎日大きな声で間違っていても誇らしげに「さんぽ」のうたをうたうゆうちゃんが可愛いな~って思う。
そう思える毎日に感謝して暮していけば良いやん!そう思ってから早かった私。

目の前の雲がすっきりしました!

Pukekoファミリーの毎日を書き込んでいきます。またお付き合いよろしくお願いします。

2011年3月28日月曜日

懐かしい香りとともに・・・

少し早めのお昼ご飯を済ませて、台所を片づけを始めた時、窓の向こうにゲビンが微笑みながら立っていた。えっ!だって彼は350キロも離れたカイコウラのお隣さんだ。

慌て玄関の扉を開けると元気そうなゲビンが懐かしい香りを届けてくれたのだ。「ほら、庭のブラックボーイ・ピーチだ。ちょうど食べごろになってたぞ」って、でも今はもう私達の家じゃない。新しい家族が暮らしているはずなのに。「留守の間にふたりでバケツ2杯分取ったのよ。」と横で微笑むガールフレンドのべヴ。その懐かしい香りとふたりの元気な姿に涙が出そうだった。

(この時期、毎年ネルソンの弟さんのところへ遊びに行ってることを思い出した。)

思えば去年の冬、旅行中のオーストラリアで心臓発作が起こり、なんとかNZに帰ってきた77歳のおじいちゃん。それから彼は数回の手術を受けて、自宅に戻ったのは冬の終わりだった。時々様子を見に尋ねても2階のリビングから1階の玄関に降りてくるのがやっとだった。また、心臓が本来の脈を打ってくれず口の中に水が溜まってまともに食事ができないと苦しんでいた。

春の訪れとともに体調も良くなりだいぶ回復して、日課の散歩にも出かけるようになっていた。「今日はパン屋まで行って帰って来れた」と会うと自分の散歩の様子を報告して調子が良くなってきた事を話してくれた。

畑を始めたときにお隣から我が家の畑の様子を見て、いろいろアドバイスをしてくれた。トマトが大量に収穫できたときはトマトスープにして保存することを教えてくれた。毎冬に出かけるオーストラリアから子ども達にお土産を買ってきてくれた。そう、ちょっとしたことで助け合った優しいご近所さんだった。

宮沢賢治の「雨にマケズ風にもマケズ・・・」の詩が私の頭の中を旋律してる。


彼は独り者。77年間1度も自分の家族を持つこともなく、小さな海辺の町に生まれ今ひとりで静かに暮している。生まれたときから変わらない風景があり、静かな暮らしをひとりで営んできたおじいちゃんが「カイコウラは何も変わっていないよ。あのままだ。いつでも帰って来い。」と言ってくれた。 その言葉が優しくて、嬉しくて、もう食べることはないと思っていた味がいまここにある。今年のブラックボーイ・ピーチは格別です。そして、変化を求めて新しい暮らしを始めた私達に変わらないことの力強さをそっと教えてくれた気がする。

小さな幸せを届けてくれたゲビンとベヴ 次回は私達がカイコウラへ会いに行きます。いつまでも元気でいて欲しい。そして、ありがとう。

2011年3月19日土曜日

小さな折鶴に思いをこめて

こちらでも連日報道される日本の地震・津波の災害と原発爆発による放射線漏れの映像に悲しくて言葉もでない。その悲しい気持ちにつぶされそうな毎日です。同じ気持ちの日本の方々の気持ちが形になり、ネルソンにある日本人会主催で始まった募金活動の初日でした。 折鶴にいろいろな思いを込めて、募金してくれた人たちに手渡す。本当にシンプルな活動です。

たくさんの日本の方々が参加されて驚きました。(現在ネルソンには100人を超える日本人が暮しているとのこと)初日の今日だけで$6,000ドルを超える募金が集まったとのこと。こちらでもたくさんの方々が日本の震災のダメージの大きさに言葉を失う衝撃と悲しみを持っていることは感じていました。友達から日本を見舞う電話をたくさん貰っていたし、はるか・ゆうとの学校や幼稚園で会うナルソンのママたちから「何か出来ることはないの?」と言ってくれた人もいたから。でも私が思っていた以上の反応の高さに驚いている。NZも未だに地震の悲しみの中にいるのに。暖かいNZの人たちの気持ちに私達日本人も救われています。 今日ははあちゃんも頑張っていました。集合場所を提供してくれたネルソンのおすし屋さんで一生懸命折鶴を作っていたし、みんなに差し入れのクッキーを配って回ったり・・・・毎日TVのニュースで震災の映像を見ても子どもには実際のところよくわからない。今、NZで日本で何が起こっているのか?どれだけの人が大変な思いをして過ごしているのか?

でも人が誰かの為に何か行動を起こす姿を見て欲しいかった。小さなことでも良いから自分にも何かできることを知って欲しかった。


私には被災した方々、震災で亡くなった方々、そして残されたご家族の悲しみや苦しみを理解することはできないと思う。彼らに「頑張って下さい!」なんて私には言えない。今はただただ彼らのことを思い、彼らの分までこれからの毎日を前向きに頑張っていくことしかできない。


子ども達は今すぐに分からなくても良い。これから長い時間を掛けてNZで日本で起こったことの悲しい出来事を知ってくれればとかあちゃんは思います。


2011年3月16日水曜日

悲しい知らせ

本当にご無沙汰しています。新年のご挨拶もないまま日本は春を迎えようとしていますね。
こちらは朝晩が涼しくなり、虫たちの優しい鳴き声に秋の訪れを感じます。
楽しかった夏はあっと言う間に終わってしまった。

住み慣れたカイコウラの町からネルソンへ年末無事に引越しを済まし、新生活に少しずつ慣れてきた矢先に・・・・クライストチャーチの地震!見慣れた街の変わり果てた姿にただただ悲しかった。ただ生きていることのすごさと毎日の普通の暮らしの大切さをひしひしと感じる毎日でした。そして・・・日本の地震と津波の恐ろしさと言葉にならない衝撃はTVの画面から怖いくらい伝わっています。津波から命からがら走って逃げる人々の姿にこれが夢であって欲しいと涙が出た。
人間が作り出したものは全て津波に流されてしまった。そこに暮す人々の思い出も全て。

人は自然の中で生かされている。どんなに科学のチカラが発達してもやっぱり自然の力にはかなわない。世界全体がゆがんで行くこの世の中で自然の大きな力からの天罰なのかもしれない。日本はその大きな犠牲をひとりで引き受けることになってしまったのかもしれません。

日本の人たちに笑顔が戻る日をいまはただ祈るだけです。

2010年11月7日日曜日

さみしい気持ち

この週末、オットとはあちゃんは引越し先のネルソンへ
(いろいろ用事をするために行ってくれました。ゆうちゃんが一緒だと何かと大変なので、ふたりで行ってくれました。ご苦労様です!)

そうなんです、だからとっても静かな週末なのです。
我が家が静かな日は1日としてありえないので、私は久し振りにちょっと嬉しかったりする。

でも、昨日の夜から「とうとうは?はるかは?」と何度も聞くゆうちゃん。
「何処行ったか分かる?」と聞くと「ネルソン」と答えるゆうちゃん。
ふたりが家に居ないことは充分にわかっているけど聞かない訳にはいかない様子。

昨日はお友達が遊びに来てくれたのでにぎやかに過ごした午後でした。でも、お友達が帰って、日が沈み夜が深けてくると、急に寂しくなったのかな?「とうとうは?はるかは?」と聞き始めた。

そして、今朝何かの物音に反応して玄関の扉を開けて、外を覗くゆうちゃん。
きっとオットが帰ってきたと思ったのでしょう。でも、居ません。
それが分かったとたんに「ぎゃ~」と大泣き!
いつまでも「とうとう~!とうとう~!」と大泣き!抱っこしてもしばらく泣いていました。
大好きなりんごを食べて、ビーチに行く約束をすると納得した感じでやっと少し落ち着いた。

うるさいな~!と毎日思う私。でもそのにぎやかさがゆうちゃんの生きてる証なのかな。

「うるさいぞ!静かにしろ!」と毎日のようにとうとうに怒られて、お兄ちゃんに怒られて、喧嘩して泣かされる毎日だけど、それがゆうちゃんの輝く毎日の1ページなのでしょう。お兄ちゃんといっしょに遊び、おやつ食べるときもご飯食べるときもいっしょ!お風呂もいっしょ!大好きなビーチへ行くときもいっしょ!えほんを読むときもいっしょ!

いっしょが1番だね。

とうとう、はるか!ゆうちゃん待ってるよ!早く帰ってきてね。
今日はみんないっしょに晩御飯食べようね!

2010年10月30日土曜日

無事に終了!

昨日、無事に仕事を終えました。たった1年だけ勤めた仕事でしたが内容の濃い1年でした。

毎日ひとりで30人近い子どもたちのおやつとお昼ご飯を作ると言う仕事。簡単そうでいて奥の深い仕事でした。栄養のある食事であることと子どもたちに食べさせると言う責任がありました。だからちょっと肩の荷が降りた感じもする。

子供たちに「何処かへ行っちゃうの?」と聞かれて、初めて寂しい気持ちになりました。

新しい生活の始まり。でも新しい試練の始まりでもある。
10年前、0からスタートしたNZで少しずつ築き上げたPukeko familyの歴史がある。

また少しずつ新しい町で自分達の暮らしを作っていけるといいな~と思う気持ちを胸に子供たちと笑顔でさよならできた。


あ~、明日から毎日日曜日?3食昼寝付きの生活?いやいやそんな甘いものではありません。

片っ端から片付けるぞ!